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2月22日
晴。起、4,00am。新聞連載、ホームページ「最後の林檎」など。寝不足、歯痛む。
沖縄行き、彼の地気温23,4度、東京暖いといっても14,5度、着るものに思案。本島の低い山並み、いちおう緑に掩われているが、大木はない。60年前、一面松林だったらしいが残るのはわずか。すべて地上戦で焼かれ、倒された。沖縄へ来ると言葉を失うといえばカッコつけ過ぎだが、ことさら冗談言ってるしかない。確かに初夏の季候。


23日
晴。この地で桜前線は南下、海流のせいか。桜は、色も散り方も本土の八重に似ている、花そのものは染井吉野。ハラハラと散るのは、ブラジル移民の移し植えた種、形もそっくり、色のみやや緑、紫がかっているらしい。那覇において桜は盛りを過ぎ、チラホラと満開、多く葉桜の中で、このおそ咲き、ひときわくっきりの風景も珍しい。浦添市で講演会。お客は、おもしろい話を期待している、当方「軍官民一体となり最後の突撃」が頭に刻みこまれている。国家とは何だと、つい考える。日本国なんて返上、列島部族連合とでも名乗ればいい。カジノで生きる部族、売春で稼ぐ部族、電子関係、車で稼ぐ部族、農専門の部族、言葉もそれぞれ。まったく意気上らず、ただ、終えて後、くっきり鮮やかな星空をのみ、時に見上げる。新宿ゴールデン街で、名をひびかせたマダム、出身は九州とばかり思っていたが、実はウチナンだった。すでに亡なったがわれと同年、思い当たる節が多い。


24日
曇。沖縄少し涼しい。7,00pm帰宅。ただ横になっている。本を読む気もしない。この3日間、何を食ったか、よくわからない。便秘。


25日
晴。眠れぬまま、9,00amを待って、近くの医者。「歳なんですから、季候の変り目には気をつけないと」といわれる。特に異常はないらしい。変り目というなら、冬と、初夏を往復したわけだが、このせいとも思えない。下剤と眠剤もらって、とにかく眠るのがいちばん。月末の締切念頭から払い、しかし、娯楽本の文字を追って、くたびれてしまう。食欲なし。夜更けより「文壇」ゲラ手入れ、暁きに至る。


26日
曇。6,00am眠、9,00am起。呆然としたまま、眠剤で12,00am眠、3,00pm起。沖縄、小場氏よりウコン届く。「文壇」ゲラ終了。「カタログハウス」原稿少し書く。睡眠、食事メチャクチャ。連続飲酒中に似ている。


27日
曇。5,00pm、アメリカの新聞記者インタビュー受ける。この後、オーストラリアで、アポリジニを取材とのこと。なんとなくおかしい。眠剤で眠る。


28日
晴。9,00am、東京女子医大心研にて精密検査。負荷テストでくたびれる。4年ぶりだが、担当の検査医、技師みな替わっていて、えらく丁重に扱う。先方からみりゃこわれものか。帰途、下高井戸で買物のつもりだったが気力ナシ。絶食だったせいか、少し食いはじめると、冷蔵庫のありったけ食いつくす。乞食腹に違いない。鱈腹食ったら、眠気。身にからみつく検査器具のままゴロ寝。8,30pm。ぐっすり寝入ったつもりで目覚めれば、11,30pm。机に向うと、器具が邪魔、車谷長吉「文士の魂」、植村秀樹「自衛隊は誰のものか」野口武彦「幕末気分」読むうち朝。植村の著書はすぐれた国家論でもある。


3月1日
11,00am起。東女医で検査器具外し、下高井戸で買物。各種支払い。帰宅後、昏睡。5,00pm起きて、新潮45,「カタログハウス」書く。「ヒトケタ」催促のtel。


2日
曇。ようやく書く気起こる。とりあえずボギー散歩、衰弱いちじるしい。散歩は彼にとって、唯つの楽しみに思えるが、こっちが少し早く歩くと、苦しげ。トボトボと神田川、水ぬるむ候、雨少ないせいか、澱む如く、鯉また動かない。はしゃいでいるのは鳥ばかり。


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