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3月4日
晴。雛飾りにあれこれ想う。昭和16年2月4日生れの初めの妹は、4月末家へ養女、父が来年はといっていた、秋に急死。19年4月生れ、2番目の妹は、京都の由緒ありげな男雛女雛。本来、雛人形は、古いものを貰っちゃいけない。20年3月、これでもめた、疎開させるかどうかでも一悶着。人形は火を免れ、秋戻ってきた。父も妹も亡い。これがどうなったか知らない、ただ、21年春、大阪千林闇市の外れに、しごくぞんざいな扱いで、雛飾り一式が並べられていた。この頃、鏡花の小説で、維新により没落した武家の娘が、食いしろのため、道端にただそれだけ、男雛女雛を置いて売る場面を読んでいた。とまぁ、考えこんで、気がつくと夕刻。7,00pm、山の上ホテルロビー、計理士に、税金関係説明を受ける。ホテル横の明治大学、新しい学舎成って、今風高層ビル。学問と建物は関係ないが、学生、気の毒な感じ。


5日
晴。半村良死去の記事。文学賞選考会の席でよく一緒になったが、常に穏やか、選評も的確明哲だった、ただ、この10年ほど、体調すぐれぬこと、傍目に判った。彼はいっさい触れず、当方も訊かない。選考が終ると、食事はせず、失礼を詫びて座を立つ。生粋の東京下町っ子。「カタログハウス」書き終える。書店の平積み、阿川のつぎは、江國と辻、男女セットでベストセラーは珍しい。相変わらず女性作家跋扈。


6日
雨。5,00am起。原稿書いて後、ホテルでインタビューを受け、6,00pmより、「文壇」いちおう書き終えて、40年前からの編集者6人、われを慰労の宴。1人、氷水でねぎらいを戴く、食ったのは大福餅2ヶ。担当の頃、朴念仁と決め込んでいた編集者、とんでもない女蕩しだったと判明、人は見かけで判断しちゃいけないな。当人の色懺悔に、居合わせた一同呆然。酒に溺れてなきゃ、俺も少しはモテたろうと詮方なきこと思いつゝ眠。


7日
快晴。少し寒い。11,00am、NHK出版協会来る。旅館「和加奈」について。神楽坂にきこえた果物屋で洋食屋の「田原屋」店閉いとのこと、毘沙門を和加奈へ抜ける獣道、今宵逢う人皆むさくるし。和加奈は物書きの宿、せいぜいカンヅメになって書こう。やや風邪気味。東女医より連絡、心臓関係検診の判定、15日のところ、明日来るようにと。こういうのはロクな話じゃない、即入院に備え部屋片付ける。歯痛む。眠剤怖くて飲めない。暁きまで手紙。


8日
9,00am起。朝食抜きで東女医へタクシー、4320円。快晴。診断の結果は、加齢のせいばかりともいえぬ不整脈。ホルター心電計また装着。これをつけて安静にしていても無意味、四谷三丁目まで歩き、馴染みの質屋で近頃の入質状況を訊く、ノートパソコンが多い由。昭和25年このあたりに住み、今残る店「錦松梅」「都書店」と質屋のみ。信濃町駅北側一角、学会一色。まぁ、泥棒は少いらしい。帰宅、軽トレ。肉炒め食って寝る。自覚症状がないから気にはならない。虚血性アタックの憂いはないらしい。


9日
5,00am起。晴。資源ゴミ出し。植木屋来る。鳥の巣発見とのこと、雛は巣立って空巣。都知事に追われた烏よ来い。11,00am、東女医で心電図外す。2,40pm、TVタックル迎え。言語反射能力の衰えまた切実に感じる。たけしとサシで漫才なら出来るんじゃないか。71歳、TVタレント、ヴァラエティーのポジションはむつかしい。「ヒトケタ」書く、延々とあれこれ筆を拡げ、頬返しつかなくなった、頭から改める。暁きに至る。


10日
5,00am眠。11,00am起。薄晴。だるくて一日無為、トム・クランシー新作長篇つい読んでしまう。なまじ片付けて、必須のモノ何もかも不明。8,00pm眠。


11日
3,00am起。本読むうち眠り、6,00am起、薄晴。可燃ゴミ出す。ゴミ出し、朝の家事、犬猫野鳥に餌やっている時、べつに楽しくもないが、ひたむき。鈴木宗男証人喚問とやらながめる。子供を叱るとき、「外務省に入れちゃいますよ」というといいね。東海林さだお画伯描く、眼鏡の上役そっくり。一日無為。

12日
3,00am起。短編小説書き始める。文壇執筆中、3つばかり浮かんだ。不整脈指摘されて1つ。新潮45書いてる時も次々生れる。ただし今風ではない。軽トレ後、入浴。猫2匹見つめている。9,00pm眠。




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