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6月18日
雨。清沢冽「暗黒日記」の一節、昭和17年12月だが、「やはり書き残しておこう」と、記しはじめたのを再読、ぼくも及ばずながら、倣うことにした。清沢は、日米開戦までの推移、開戦で浮かれきっている大日本帝国のお上、民草、マスメディアにうんざりして、日記を止めていた。ぼくは、ムネオ、マキコのからみ、在中国日本大使館のゴタゴタ、小泉政権のあまりにもあからさまな対米隷従ぶりに、このページの文字を記す気力喪失、そこへ輪をかけて、ワールドカップ、スポーツ新聞の紙面は、三分の二ほどが、ニッポンチャチャチャで、三分の一は、サラ金、高利貸の広告、まともじゃない。
まことザンネンムネン、ニッポンはトルコに敗けた。トルコには、「トーゴー通り」がある。ロシヤにいためつけられたトルコにしてみれば、憎きロシヤをやっつけた日本に拍手喝采、日本海海戦の立役者、東郷平八郎の名を、通りにつけたのだ。ソ連時代はさておいて、サッカー日露戦争において、また日本は勝った。しかし、もはやトルコは、これを小気味よく思うことなく、ジャパンの八強進出を断固阻止、この恩知らずともいえないが、まあ、世の中、少し落着く、本当に日本中がサッカー狂いしていたとも思えないのだが、これを期に、日記再開の次第。サッカーについて一言だけいっておくと、アタクシは幼年時、足を手のかわりに使ってはいけない、つまり畳の上のモノを足で移動させる、足で襖を開ける、そして「蹴る」などとんでもないという躾けを受けたものですから、ベッカムとかなんとかの足芸も、染之助染太郎の太神楽と同じにしか見えない。



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