ホーム > 旅の果て日記

7月4日
まだ呆然としたまま、朝、ロケバスにて、福井県春江市、57年前の8月いっぱい過ごした地へおもむき、NHK「終戦日記を読む」の撮影。ここでTVカメラの前に立つこと、かなりためらいがあった。血はつながっていないが、1歳4ヶ月の妹が、ぼくの手の中で餓死している。晴江市は昭和23年、福井地震で、建物の多く崩壊、20年夏の町並みとすっかり変っていることは、心得ている、最後に訪れたのが10年前。
このたび、妹の骨と皮の死体を荼毘に伏した、石造りの炉、文字通り、野辺の送りの、行き着く果て、残っているとは考え難いが、スタッフに調べてもらっていた。死体焼却炉は取払われ、今、公園になっているという。
ぼくは、一面、猛々しい印象の、8月22日、稲のおい繁る水田の中の、かの地で「ベト」というぬかるんだ農道を、妹の亡骸、薪、炭、大豆殻を乗せ、リヤカーで運んだ、かなり歩いたと記憶する。いかに御多分に漏れず、開発がかの地で進められたにしろ、焼き場変じて公園、信じ難い。つれて、忘れていた57年前が少しよみがえった。ぼくは過去執着型で、昔を比較的、自分なりに憶えている方だとうぬぼれているが、この晴江町がらみでは、実に曖昧、ここで過ごした1ヶ月の、直前直後、はっきりよみがえらせ得るのに、この小さな町について空白に近い。ひとつ愕然としたのは、骨と皮になって死んだ妹の亡骸その他を、リヤカーで焼場まで運ぶ体力が、14歳の自分にはあったということ。市に変った晴江で、多分、当時、眼にしなかったと思うが、その古びかたから、昔のままに、駅入口に掲げられた、ものものしい板造りの、駅名標示板。ことさら胸に迫るナニかもないまま、カメラ意識しつゝ、炎天下、まったく見知らぬ町並み、10年前よりさらに変った白く続く一本道を歩き、かつ、ボソボソつぶやく。午後早い便で帰京。酒っ気は抜けた。


5日
起3,00am。血液サラサラに効験ありという玉葱、ホーレン草、鯖、納豆で飯。いわゆる「御馳走」世間様のいう「おいしい」もの以外、何でもこだわりなく食うが、サラサラを目的となると、少し拒否感がある。「戦後を思えば」の呪文が通じない。10,00am、NHKスタジオで収録。本来は、囲碁、将棋対局を収める場所、そのセットが片寄せられていて、いやはやチャチな造りにびっくり。カメラに向っての、1人しゃべりは、ついに慣れることができなかった、あえて過去形でいう。女を口説くのも同じ。3,00pm、2週間分撮って終り。「戦争」を語る、文字となす難しさを、いまさらながらの自嘲まじりに痛感。「TVタックル」のわれのみに非ずてなこと、ふと思う、暑い。月末の支払い、今日も出来ず。「サラサラ」食で眠、8,00pm。


6日
起1,00am。3,00am眠。7,30am起。資源ゴミ出し。高雲。ボギー散歩。外歩きに心弾む様子だが、腰、後ろ脚の衰え著しい。食欲は旺盛。11,00眠、2,00pm起。3,00pm眠、8,00pm起。拾い集めて、この日10時間眠。55年来の知己が、地方紙に寄稿した文章送られてくる。小生を含め、すべて小生を通じて知りあった物書きを、ボロクソにののしった一文。ののしるのは勝手だが、卑劣な筆づかいに、こころ萎える。こんな奴とつき合っていたのか。考え込んで徹夜。


7日
6,00am眠、2,00pm起。サラサラ食のせいとも思えぬが、いちおうよく眠る。快晴。陽の落ちて後、散歩。めったやたらのUVブーム、流行に弱い俺も注意している、今更、美肌になっても詮方ないが。一万二千歩で、足がだるくなった、足がしっかりしていなければの強迫観念も、焼跡に発する。かくも戦争、戦後にこだわるというより縛られているのは、そうはいない。あの頃を書けば、もはや時代小説に近いが、これから、本気で60年前を書く、ベストセラー作家になれるかもしれない、根は楽天家なのだな。そのために長生きしなきゃ。また、呆然と徹夜。





ホーム > 旅の果て日記

野坂昭如オフィシャルサイト nosakaakiyuki.com
(C)Akiyuki Nosaka. All Rights Reserved