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十月十七日
昔の神嘗祭。今年穫れた米を、伊勢神宮に奉納、豊かな稔りを感謝申し上げる。こんなこと覚えていて、感慨にふけるから、時にウヨクとみなされる。7,00PM、「野坂塾」お客38人。このところメディアに接すること少く、旧聞のむしかえし。三食食う。夜「ヒトケタ」書く


十八日
5,00AM起。朝食の支度。ゴミ出し、床拭き、ボギー散歩。久しぶりに新聞読む。アメリカ、アフガニスタン空爆、気が滅入る。空襲の記事はダメ。これをしもトラウマというのか。往時を想う。昭和19年今頃、台湾沖航空戦、20年なら闇市ほゞ形が整った。21年、受験勉強、22年、多摩少年院。23年
まずロクなことはなかった。人間、生れ月に異変があるというが、かなり思い当る。



十九日
朝のお定り以後、ほゞ無為。夕刻アスレティッククラブ「ドゥ」で軽く運動。連続飲酒による体重減2L。 


二十日
たけしのTVタックル出演。先々週、泥酔に近かった。シラフでも言語面での反射能力著しく低下の自覚。芸人は、自分の立場を心得る者の謂いでもある。吾れは半ボケか。TVは「オフザケ」の意識がよくない。制作会社の用意した折詰「純ちゃん弁当」腹は減っていたが、ケタクソ悪く食わず。


二十一日
新聞に、日本人フリージャーナリストが、タリバンに拘束の記事。当該御仁の顔写真で、彼は、元中公編集者柳田邦夫の伜と判る、顔がそっくり。邦夫には三十年以上前、日本左翼の変遷についてずい分教わった。夕刻雨。忙しいと曜日があやふや、暇だと日付が判らなくなる。泥酔後しばらくは、空模様を気にしない。夜、コッポラ往年の話題作「地獄の黙示録」観る。二十五年経て、ベトナム戦争、傍観者でしかない者の記憶風化によるものだろうが、ただ喧しく騒がしいだけ。


二十三日
久しぶりの快晴。女子医大へ薬をとりに行く。診察待つ御連中に、老夫婦多い。その在りよう、二人なのに実にさまざま、眺めること2時間。人物模写のトレーニング。帰途「ドゥ」で運動。菅原文太令息、住いの近くの踏切あたりで事故死。


二十四日
晴。久しぶりに朝のTV観る。アメリカで炭疽菌騒ぎ。手紙に白い粉として封入されていた。届いたのはワシントン、おびえる郵便局員、というより、配達関係者すべてアフリカン・アメリカン


二十五日
晴。空路秋田へ。ペンクラブ、JT講演会。ジェームス・三木さんと一緒。


二十六日
晴。以後、月末まで、文芸誌「文学界」書く。
外出は、TBSラジオ「永六輔その新世界」出演のみ。



三十日
NHK出版藤野健一来訪。来年八月がらみの打合せ。書斎整理。片付けるは即ち、棄てること。




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