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9月11日
WTCトゥインビル崩壊をTVで観た衝撃の記憶と、あれから1年の感慨こもごも。俺はこの365日、何をやっていたのか。米国中枢部に対する同時多発テロという見方なら、テロリストをして、この行為におもむかしめた要因が、問題となる。BUSHさんの如く、「これは戦争だ」というのなら、敵としての「国」を特定しなければならない。


12日
4,00am起。晴。20数年前に訳したトルーマン・カポーティの「カメレオンのための音楽」これが文庫化されるにあたって、いちおうゲラに目を通す。かつてこの訳を、今は亡き向井敏にさんざんけなされた記憶がある。改めて20年ぶりに原文を読み、自分の訳と照らし合わせてみると、向井のいうのも無理はない。カポーティの原文は、ぼくの読解力を持ってしても、確かに一種、軽い透明感に満ちて、まことに完璧な文体、くらべてぼくの方は、自分のやや重苦しい文章をそのまま、おおよその筋書きに間違っていることはないにしろ、みっともない翻訳に違いない、これも20年という歳月、つまりかつてはまだ自分の文体というものに引っ張られ、無理をして引きつけてしまう、いわば惰性のとりこになって、それを翻訳にも適用してしまったから、カポーティの持ち味を殺してしまっている。彼が自分の小説を書くにあたってのさまざまな試行錯誤、あるいは考えを、何故きちんと読んでから訳さなかったのか、当時は朝から晩まで酔っぱらっていて、当然下訳があって、下訳をたよりに、横文字をタテにするのではなく、タテをさらに自分流に直しただけ、気楽な気持でやったにちがいない。改訳といっても、頭から始めるのはとても出来ない。締切には間に合いそうもない。ここ数日、布団で寝ていない、とぎれとぎれの睡眠。


13日
曇。何日ぶりかで下高井戸へ買物。鯵の刺し身、しじみ、昆布、猫の餌など。このところ鯵の刺し身は酢で食べている。短文2種を書いて、カポーティの改訳続き、原文を読めば読むほど、それは日本の古典の現代語訳にも言えることだが、およその意味は通じるのだが、原稿用紙の上に記すとまるで原文と違う印象。古典を現代に直す、あるいは横文字をタテにする場合、いたしかたのないことで、いっそ橋本治風、窯変と彼は言っているが、自分という窯のなかで、原材料の古典なり横文字を焼いて、思い掛けない変化が現れる、そこまで開き直らないと出来ないことかもしれないし、またそう出来るのが才能。ぼくにとても豹変はかなわない。だんだん頭が混乱してきて、自分自身、英語も判らなければ、日本語も判らないような状態になってきた、多分以前なら、ここで酒を飲んでいる。




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