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10月10日
晴。72回目の誕生日。pm2,00、小林信彦氏と対談、彼と、ともかくしゃべるのは35年ぶり、昔噺しに終始。pm6,30、新宿東京大飯店で、ラグビーチーム「アドリブクラブ」メンバーによる、誕生祝い。当初のメンバー、みなあと3,4年で還暦、顔を眺めて若いんだか、老け込んだのか混乱してしまう。九州、北海道在住の方も集り、ラグビーチームの結束の固さを改めて知る。家へ帰ると、「鏡花賞」お祝いの花だらけ。


11日
晴。電話で「キョウカショウ」といわれると、つい教科書と受けとる、実感がまるでない。4月に上梓された「文壇」が対象らしいが、鏡花の作品、作風とまるで結びつかない。金沢市役所かあら電話で、授賞式に先立ち40分ほどしゃべってほしいとのこと。決まりであれば致し方ない引受ける。すぐ来月6日の、式次第がFAXで送られてくる、しゃべり40分は「文芸講演会」「鏡花について」とある。私めは、「文化」ばかり「文芸」と銘打たれた「講演」の経験がない。鏡花は戦後すぐ読んだ、荒廃しきった世間、自らの貧しい明け暮れに、一種の救いだった。焼跡をうろついている時は正岡子規。焼ける前、友人宅で、ややこれみよがし、狭い応接間に飾られている白い表紙の鏡花全集をよく眼にした。家は布張りの表紙漱石全集と、春陽堂「明治大正文学全集」、紺の表紙の「大衆文学全集」、新潮社「世界文学全集」、今思うと、「全集」で、家風の見当がついたように思う。てなことしゃべっても、「文芸」にはならない、難しい宿題与えられた感じ、鏡花は読んで、その言葉にうっとりしてりゃいい。とても論にならない。まだ先のこと、夜、文乙の連中が祝いにやってくる、シェークスピア研究家が、「受賞なら、骨我身峠死人葛だよ」。これを書いたころ、まだ鏡花賞はなかった。


12日
晴。新聞の短い原稿に難儀、日本の小説における「ユーモア」の貧困について5枚。夕刻散歩、喫茶店でグレイプフルーツジュース。杖にすがりよたよた入ってきた老女、われより年上が、座るなり「いつもの」、店員心得て中ジョッキのビール、老女両手で持ち上げイッキに半ば飲み干す。えらい感じ、これが地獄のとば口と納得しつゝ、また、鏡花賞で浮かれたとみなされるのも癪と考えつゝ、ついワインを飲む。そして地獄への道のりを巡る。帰宅後、お中元の戴き物、缶ビール飲む。いちおう鏡花を読みつゝ、暁方までに360M18本。酔った感じはなく、和室に布団敷いて寝る。


13日                                    晴。14日体育の日。15日。16日、野坂塾、漫才コンビ「笑組」に助けられて、どうにか1時間しゃべる。17日。18日、山の上ホテルで対談。19日、千葉、四日市で講演。20日。21日。22日。23日の講演キャンセル。24日。25日2,00am、自宅を脱けだし、山の上ホテルに仮眠、この日福知山で講演、家にいては、とても新幹線に間に合わない、フロントに7,00amモーニングコールを頼み昏睡。つまり、12日夕刻から、24日まで地獄の連続飲酒。つとめて食ったつもりだが体力消耗、東京駅までタクシーで所定の時刻に着きはしたものの、プラットホームまでの歩行が危なっかしい。酒を断たなければならぬ、50Mのペットボトル4本求め、京都までに飲み干す。弁当も求めたが食欲なし。講演をすませ、以前の福知山線で新大阪、かつてこの線は、買いだし列車だった。酔いは失せていたが、衰弱しきった体座席にゆだね、往時茫々、三田は米どころ、米は売ってもらえず、混みあう汽車の中を帰った暗い夜を思う。車窓の外は刈り取られた稲株のヒコバエの青畳。パックの玄米粥食って眠。



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