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3月13日
晴。暖かい。近くの私鉄駅4つのうち、2つはシャッター街化著しい。古書店で、運び入れた個人蔵書の荷ほどきを手伝う。昭和22年刊、創元社の詩集が数多くあり、買い込む。富永太郎、八木重吉、大手拓次いやおなつかしい。


14日
晴。原稿20枚。梅散って、雑草よみがえる。洗顔、歯磨きどうもおっくう、5,6分で済むのに、心構え1時間。小林亜星氏、勝訴の会欠席。


15日
曇。TV出演。3,00pm-6,00pm。あたらしい魔法瓶、48時間経て、けっこう暖かい。近頃はココア。カフェインをさけてのこと。ずいぶん健康に気づかうようになった。


16日

曇。夕刻雨。引きこもって「ヒトケタ」資料読むが、うまく整理できない。中学1年で、まともな学業を放棄したせいか、ノートがとれないのだ。


17日
曇。小雨。睡眠不足でダルイ、食欲またナシ。1日の暮れること、1週間のたちまち過ぎること、いと早し。3月も半ば、この一冬、着たきり雀だったが、普段もお洒落を心掛けよう、少しは都心に出かけましょうなどウツウツと考えつつ眠。


18日

起3,00am。脚力の衰え著しく、本日よりエアロバイク。1年前、50歳に設定していたが、実年齢にした。石川九楊「一日一書」を読み、ちょっと習字。お手本があると書ける。かつて副島種臣の字を真似した。夕刻、580円の弁当を買い食って寝る。けっこううまいものだ。


19日
アメリカのイラク侵略迫る。ひたすら気が滅入るばかり。米を注文。この大義なきアメリカのしかけた戦争、必ず島国に飢えをもたらす。5,00pm、阿佐ケ谷での野坂塾前に会場近くで、3組と打合せ。いずれも書下ろしの話。この夜、ゲストなし、小生だけで初めてお客様100名を超える。ぼくの経験した空襲とはまるで違うのだろうが、58年前を思い出すと、何もしゃべれない。客として来ていた、元「話の特集」編集長、矢崎泰久氏を呼び、彼の空襲、艦砲射撃を受けた恐怖を語ってもらう。長岡、甲府、水戸と、逃げた先々でやられた。東京の家は無事だった。


20日

晴。日本時間10,00am、バクダッド空襲、市内煌々と灯がついていて、その背後に着弾の煙、TV画面じゃ判らないな。ラチ被害者、将軍様関係吹っ飛んでしまう。一日無為。


21日
晴。暖かいが風少々。お彼岸の中日。チラチラと米英侵略のTV画面観つつ無為。とにかくうんざり。川西航空機甲南工場爆撃をまざまざと思い出す。とんでもない外れ弾、ずいぶん死人がでた。あの頃は、絨毯爆撃、軍、民間の別はなかった。ナチスドイツすでに降板、大日本帝国ひとり頑張って、というより、やられっ放し。沖縄は虐殺の日々だった。



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